娘を思う母の祈り、懸命に生きる蜂の母 ― 小さな命を奪う葛藤と、日常を守るための誓い
第一章:わざわざ足を運んだ「親心」
ある日の夕刻、一日の事務処理を終えようとしていた私の事務所のインターホンが鳴った。モニターに映っていたのは、少し緊張した面持ちの年配の女性だった。
応対に出ると、奥様は私にこう切り出した。
「中山さんの事務所の所在地を調べて、わざわざ足を運ばせてもらいました」
聞けば、ネット上の情報だけでなく、自分の目で直接確かめたいという。世の中が便利になり、電話一本で何でも頼める時代にあっても、大切な家族の家を守る業者を「対面して選ぶ」という彼女の徹底した姿勢に、私は居住まいを正した。
事情を聞くと、今回の依頼主は奥様の娘さん夫婦の家だった。娘さんは忙しく、外国籍のご主人は日本語の細かいやり取りが難しい。そこで、娘を案じる母親が「ここなら信頼できる」と確信できる場所を探し、私のもとに辿り着いたのだという。
「娘はハチのことを『ミツバチの大きい版』くらいにしか思っていなくて、まったく無関心なんです。でも、ネットで調べれば調べるほど、放置すれば爆発的に危険になることが分かって……怖くて、夜も眠れないんです」
子供を思う母の切実な声。駆除を促しても「大丈夫だよ」と楽観視する娘さんを尻目に、母親だけが一人で危機感を抱え、解決の糸口を探し続けていたのだ。
「中山さん、これってまだ大きくなるんですよね? 駆除するなら今ですよね?」
彼女が差し出したスマートフォンには、小さな徳利型の巣が写っていた。それは、営巣が始まって間もない「今」しか見られない姿だった。
第二章:重なり合う二つの「母性」



翌日、私は現場へと向かった。
指定された場所を確認すると、写真の通り、軒下に小さな徳利がぶら下がっていた。まだ女王バチが一人で、懸命に命を繋ごうとしている証。
私は防護服の袖を整えながら、ふと動きを止めた。
「母親が、我が子を育てるためにここを選んだんだな」
奥様が愛する娘を守ろうと私を訪ねてきたように、この蜂の母もまた、風雨を避け、外敵から身を守るために、必死の思いでこの場所を選んだのだろう。小さな徳利の中に宿る命。それは、人間の勝手な事情で奪って良い命なのだろうか。
感情移入をすればするほど、駆除の決断は重くなる。
「自分は駆除業者として未熟なのか」
そんな自問自答が胸を締め付ける。ハチは自然界の循環の中では大切な命だ。しかし、人の生活圏において、その牙は住民の平和を脅かし、時には子供の命さえも奪う凶器となる。
私は自らの使命を再定義する。
「ハチに怯え、眠れぬ夜を過ごす母親の役に立つこと。それこそが、私の仕事だ」
迷いを振り切り、私は狙いを定めた。
第三章:小さな犠牲と、引き継がれる教訓



殺虫剤を噴射する。しかし、巣の中に反応はない。
「狩りに出ているのか?」
一瞬、ホッとした自分がいた。そのまま自然の摂理に任せて去ってくれたら――。そんな甘い願いが頭をよぎった瞬間、巣の奥から女王バチがポロリと転げ落ちた。ほぼ即死状態だった。
中にいたのか。子を懸命に守っていたのか。
びっくりしただろう、苦しかっただろう。無念だっただろう。
「許してくれ」
心の中でそう呟き、女王バチと幼虫、そして徳利の巣を丁寧に袋へと収めた。それは、私が日常的に行っている作業であると同時に、小さな命を奪ったという事実を全身で受け止める瞬間でもある。
巣跡を徹底的に清掃し、忌避剤を散布する。ついでに家中の軒下をくまなく調査し、他の営巣ポイントも潰していく。この時、私の心はすでに「駆除のプロ」として冷徹に、かつ丁寧に動いていた。
後から戻られた奥様に報告を終えると、彼女は袋の中のスズメバチと、まだ蠢く幼虫を写真に収めた。
「娘にこれを見せて、いかに怖いものか、しっかり言い聞かせます」
その言葉を聞いて、私は確信した。この女王バチの死は、娘さんの命を守るための「教訓」として、この家族の歴史に刻まれるのだ。せめてもの供養になるとすれば、それは家族の平和に繋がることだろう。
第四章:使命という名の重み
「14日間の再営巣保証をつけます。もう、二度とここにハチを作らせませんから」
奥様は安心した表情で頷いてくれた。
帰り際、私は事務所に向かう足取りが、以前よりもわずかに軽くなっていることに気づいた。誰かがやらなければならない仕事がある。平和な日常は、こうした「見えない戦い」の上に成り立っているのだ。
駆除のプロとして、私はこれからも小さな命と向き合い続けるだろう。
だが、それは冷酷な作業ではない。ハチを殺すことではなく、人を救うこと。そして、自然との境界線を守り、人間が安心して暮らせるフィールドを確保すること。
私は名刺の束を確かめ、次の現場へと車を走らせた。
私の仕事は、家族の絆を守る守護者(ガーディアン)であること。その誇りを胸に、今日もまた、誰かの暮らしを守るために街を往く。
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