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平穏な草刈り作業が一瞬にして「地獄」へ落ちる―慢心の代償と、死の淵で知った命の重み
第一章:信頼が紡ぐ、毎夏の定期便
毎年、夏の初めになると私は海南市のあるお宅を目指す。
今から4年前、電気メーターボックスの中のアシナガバチを駆除したことが、全てのはじまりだった。駆除のついでにと「草刈りもやっています」と何気なく伝えた一言が、奥様の「植木屋さんが高齢で引退されて困っていたの」という切実な声を引き出した。以来、私はハチ駆除のプロであると同時に、庭の守り人として、この海南市のお宅を訪れ続けている。
草刈りは、ハチ駆除のプロとして「営巣されにくい環境を作る」という重要な予防の一環でもある。本職の植木屋のような完璧な芸術性を求める場ではないが、かといって家主が自分で行うには過酷すぎる。いわば「便利屋」としての立ち位置だが、それでも隣接する妹様のお庭まで含めれば、なかなかの重労働だ。
「今年もまた、ずいぶんと伸びましたね」
そう挨拶を交わすのが、私と奥様の夏の風物詩となっている。玄関横の日陰に置かれた、氷で満たされたクーラーボックス。そこに入っているキンキンに冷えた栄養ドリンクは、炎天下で汗を流す私にとって、砂漠で見つけたオアシスのような恵みだ。
作業を重ねるうちに、当初は3日かかっていた庭の手入れも、今では2日で終わらせる要領を得た。床屋でボサボサになった頭をバリカンでスッキリと刈り上げられていくような爽快感。作業に余裕が生まれ、心にもゆとりがあった。それこそが、この夏の悲劇を招く「最初の隙」だったのかもしれない。
第二章:忍び寄る「黒い球体」の警告


2日目の作業は、まさに仕上げの段階だった。
厄介な庭木は昨日のうちに処理を終え、今日は残りの草を刈り取れば終わり。心はすでに、仕事を終えて帰宅し、風呂に入りゆっくりと一日の疲れを癒やす自分の姿を映し出していた。
しかし、その瞬間は訪れた。
撤収作業の傍ら、ふと視線を上げた私の目に映ったのは、無数の黒い点だった。大豆のようなものが頭の真上でせわしなく舞っている。
スズメバチだ‼
全身が硬直した。巣は、私の頭が接触するほどの近距離にあった。
「しまった!」と唇を噛む。今日という日は、積み込みのスペースを確保するために、防護服を車から降ろしていたのだ。駆除の現場に防護服なしで立つことなど、プロとしては本来あってはならないことだ。奇跡的に車の中にあった小さな捕獲網と薬剤セットだけが、今の私を繋ぎ止める命綱だった。
これまで積み上げてきた「ハチ駆除のスペシャリスト」としての自負が、音を立てて崩れ去った。草刈りに没頭するあまり、周囲への警戒心は枯れ果て、私の心には大きな「隙」が生まれていた。今そこにいるのは、スペシャリストではない。ただの「草刈りをしている無防備な人間」だ。
一度その場を離れ、呼吸を整える。新たにアシナガバチの巣も別箇所で見つかり、私は一気呵成にこれらを制圧した。防護服のない中でのスズメバチとの対峙は、まさに命懸けの勝負だ。振動を与えれば即座に毒針の餌食となる。計算し尽くした角度で薬剤を出入り口に突き刺す。その一撃に全ての神経を注ぎ込み、何とか静寂を取り戻した。


第三章:死の淵で見えた、アナフィラキシーの悪夢


全ての作業を終え、機材をまとめようとしたその時だった。
数箇所から、電撃のような激痛が全身を走った。左腕に3匹のアシナガバチが張り付いている。ブロックの影から、次々と黒い影が踊り出てくる。
私は慌ててハチを振り払い、その場から退避した。
だが、薬剤を取りに行くわずか1、2分の間に、異変は起きた。
急激に胸を突き上げるような吐き気。過去の駆除で刺された時とは明らかに違う。これまでアレルギー検査で「問題なし」とお墨付きをもらっていた私だったが、身体が発する警告は明確だった。
「アナフィラキシーショックだ」
頭の中に、「死」という二文字が冷たく浮かび上がった。こんな時に限って、エピペンもポイズンリムーバーも持っていない。
吐き気が襲う。立て続けに3度、胃の中のものを吐き出した。頭がふらつき、呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が耳元で鳴り響く。神様に見放されたのか。私は今、ここで死ぬのか――。
必死の思いで毒を絞り出し、水で洗い流す。全身がフラつく中で、それでも「お客様に迷惑だけはかけられない」というプロとしての執念だけが、私を立たせていた。自分の身体の微妙な変化を監視し、もしもの時には救急車を呼ぶ心構えで、残りの機材を片付ける。その時間は、永遠のように長く感じられた。
第四章:駆除の神様からの「警告」


結局、作業は大幅に遅れ、満身創痍の状態で終了した。
車に乗り込み、荒い呼吸が落ち着いていく中で、私は何度も神に感謝した。アナフィラキシーのドアを叩きながらも、扉は開かずに済んだのだ。
振り返れば、これまで私が刺されてきたのは決まって「駆除が終わり、緊張が緩んだ瞬間」だった。
今回も同じだ。作業が終わる、帰れる、風呂に入れる――。その安堵こそが、私からプロとしての警戒心を剥ぎ取り、防御を解かせたのだ。
「初心を忘れず、慢心を捨てよ」
今日の出来事は、私を次のステージへ引き上げるための、駆除の神様からの「強烈な戒め」だったのだろう。もしこれで命を落としていれば、それは笑い話にもならない。慢心は、駆除業者にとって命に直結する毒だ。
結び:命を懸けて学んだ「プロの誓い」
夕暮れに染まる海南市の空を見上げながら、私はこの激痛と恐怖を、決して忘れないと誓った。
草刈りという日常の作業を通して、改めて教えられた「命の脆さ」と「仕事の真摯さ」。アナフィラキシーの一歩手前まで連れて行かれたからこそ見えた景色がある。
私は、ハチ駆除のスペシャリストだ。
しかし、その自負があるからこそ、一瞬の油断が死を招くことを、誰よりも知っておかなければならない。
今回の経験は、私のこれからの人生において、何にも代えがたい教訓となった。たとえ明日が最後の仕事になろうとも、私は一つひとつの巣に対して、初めて駆除に挑んだあの日と同じ緊張感を持ち続けるだろう。
草刈り、そして海南市のあの庭。
そこには今も、命の重みと、初心への誓いが刻まれている。私はもう、あのブロックの影に潜む毒針を恐れない。ただ、私自身の中にある慢心という敵を、これからの駆除人生で何度でも倒し続けるだけだ。
駆除の神様、命を繋いでくれてありがとう。
私は、もっと強くなれる。もっと、誰かのために安全を守れる存在になれる。
車を走らせ、また次の現場へ。
今日の教訓は、この腕の痛みと共に、一生涯、私の駆除業者としての魂の羅針盤となるだろう。
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